福岡高等裁判所 昭和25年(う)919号 判決 1950年9月25日
被告人
小川邦昭
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月に処する。
当審の訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
検事の控訴の趣意について。
原判決は鑑定人高瀬清の鑑定の結果、被告人自身の犯行当時における自己の酒類飲量に関する供述、被害者両名の原審公判における被告人は本件犯行を意識せずに(あるいは前後不覚で)したものと思うとの意見を綜合して犯行当時被告人は心神喪失の状態にあつたものと認めたもののようである。しかし原審における証人高瀬清の供述記載を虚心に通読すると病的心理学では心神喪失と心神耗弱の区別をしない。本件鑑定書はかかる純科学的見地に立つて被告人は犯行当時病的心理学でいうところの心神喪失の状態にあつたものと鑑定したまでであつて、それが刑法にいわゆる心神喪失に該るか心神耗弱に当るに過ぎないかまで鑑定しているわけではないことを看取するに足る。またある人の常日頃の酒量、犯行時におけるその人の飲酒量如何に関する当該本人または当時ともに飲酒した人の供述の如きは飲酒の結果心神喪失の状態にあつたかまたは心神耗弱の程度にあつたかの如き微妙な差を判定する資料としては大した価値を有するものではない。況んや被害者の前示推量による意見の如きはなおさらである。しかしていま溝田藤枝、森禎吉、森つる子の司法警察職員、検察官に対する各供述(但し被告人の犯行当時における酔の程度乃至精神状態に関する部分の意見を除く)溝田藤枝、森禎吉の原審公判における供述(但し被告人の犯行当時における精神状態に関する意見の部分を除く)によれば却つて犯行当時における被告人の右の者等に対する問答は相当筋の通つたものであり、またその行動も相当機敏であり且つ被告人が暴行に及んだ動機も被告人の日頃の酒癖を知つている被害者があるいは被告人の申出を軽く受流し、あるいは被告人に退去を命じたことにあるようであつてことの善悪はしばらく措きとにかく被告人の当時の行動には一応筋が通つており、決して事理をわきまえぬ反射的の行動であつたとは認められない故これらの事実と前掲鑑定書の記載と証人高瀬清の証言を綜合せば、被告人は犯行当時飲酒の結果心神耗弱の状態にあつたもので心神喪失の程度には至つていなかつたものと判定するを相当とする。従つて論旨は理由があるので刑事訴訟法第三百九十七條により原判決を破棄し、なお記録に基いて直ちに判決することが出来ると思われる故同法四百條但書に則り次の通り判決する。(以下省略)